「消化力」が人生と気づきの土台をつくる(後編)
斎藤奏(さいとう・あかな)
米国クリパルセンター公認クリパルヨガ教師。東京都生まれ。2006年、体調不良によりヨガを始める。2017年、全身に痛みや痺れを感じる「線維筋痛症」を発症するが、養生と漢方治療、ヨガの実践により、自己否定や恐れが病気を引き起こしていることに気づき、病気を克服。2019年1月、米国クリパルセンター公認クリパルヨガ教師となる。現在は、漢方医の中田英之氏とともに日常の養生とヨガの実践を通して健康づくりを行う「養生ヨガ」を提唱。オンラインでのヨガクラスを行う。
「消化力」は、観察して気づいて決断していく能力でもある
ーー痛みから自分の本質に気づいたのは、養生のおかげなんですね。
斎藤 そうですね。養生が私の身体の器をつくってくれました。そして、ヨガの実践がさらにあったおかげだと思います。
今も私の変容のプロセスは続いているのですが、クリパルヨガでは【目撃意識】を育むことをとても大切にします。
ふだんの生活では、私たちは物事をよい、悪い、好き嫌い、優れている、劣っているということを判断し、過去の経験から自分にとって都合のよい選択をしていますよね。
目撃意識とは、無意識の選択に気づき、起きていることを慈悲深く、ただ目撃している意識のことです。
マインドフルネスの実践も、目撃意識の実践ですね。
何かが起きたときにすぐに判断し、逃げるか闘うか、あるいは執着するかという選択を自分に迫るのではなくて、ただリラックスして身体で起きていることを感じとり、体験し、味わうこと。
目撃意識を育むことで、「ただここに居る」という選択肢を自分に許すことができます。
ヨガの練習中には、マットの上では常にいろいろなことが起きています。
リラックスした目撃意識によって、変化する私たちの心と身体に気づき、変化そのものを恐れずに迎え入れると、私たちは自分の本質的な課題や、可能性に心を開くことができるのだと感じています。
ーー瞑想みたいなものですか?
斎藤 そうですね。動く瞑想。
ーー自己観察が大切だということですね。
斎藤 そうです。スワディヤーヤというヨガの教えがあるんですよ。自己観察、自己探求。それが、ヨガとアーユルヴェーダの実践には不可欠だと思っています。
自分にとっての「ちょうど良さ」を見つけることって、実はとても難しくて。
ともすれば食べすぎ、寝すぎ、働きすぎになるのが私たちですよね。
だから養生を実践するプロセスでは、自己観察を常に行い、自分に気づきを向け、「今の自分自身が基準である」ということを体験していきます。
それから、ヨガクラスではポーズを通した身体の観察を繰り返して、「自分に必要なもの」「自分に必要ではないもの」を切り分けたりしていくのですが、よく考えたら、これって消化機能と同じなんですよ。
ーーそうなんですか!
斎藤 はい。ヨガも胃腸の消化も、必要なものを吸収して栄養とし、不要なものは手放し、排泄する。そのプロセスだと思います。
だから「消化力」って、自分の人生そのものなんです。
ーーなるほど。
斎藤 たとえば、生徒さんから身体に良い食べ物についてよく質問されるのですが、一般的に身体に良い食材を知るよりも、「今の自分に必要かどうか」が大切です。
豆腐と納豆が身体に良いから、毎日食べるという人がいますよね。もちろん、発酵食品は身体に良いけれど、アーユルヴェーダでいえば、大豆や豆製品は体内のガスを増やすものです。
もともとお腹が張りやすくて、便秘になりやすい人には、納豆や豆腐を常食することが必ずしも「身体に良いこと」ではありません。
自分が食べたものによって、実際に自分の身体が整っているのかに注意を向けてみることがとても大切だと思います。
新型コロナウイルスによって今、私たちは未知の世界を生きているわけですが、そんなときは「確かなもの」が欲しくなりますよね。
でも、“いつどんなときでも”身体に良いものはなくて。
同じように、どんな食べ物も「絶対に悪い」とは限りません。
どんなものも薬にもなり得る。それがアーユルヴェーダの教えです。
大切なのは、「自分を知ること」だと思います。
外側の情報に引っ張られてしまうと、自分自身を見失ってしまうことがありますから。
ーーそうですね。人の言うことばかり聞いてしまったりとか。
斎藤 はい。とくに「良い子で居ること」が正解だとされて育ってきた人ほど、そういう傾向にあります。私もそうですが。
人が感じていることには気づけるのに、自分が感じていることには気づかないふりをしてしまう。
でも身体であれ心であれ、自分の問題を先延ばしにして蓋をしていると、中ではどんどん圧力が高まって、ある日突然、爆発します。私の場合は、病気になってしまいました。
ヨガではよく「暴走車が自分に向かって走って来ていることに気づきなさい」と言います。
暴走車が自分のほうに向かって走っていることに前もって気づけば、ぶつからずに済みます。自分の中で起きていることに気づき、変化の兆しを受け取っていること。自分の身体の声に耳を傾ける習慣をもつこと。
自分への気づきがあれば、もし車にぶつかったとしても、ダメージは半分以下で済みます。
ーー具体的に、「必要なもの」と「不要なもの」に気づいていく方法があったら教えていただけますか。
斎藤 くり返しになりますが、やはり「消化力を整えること」ですね。時間はある程度かかります。それでも、淡々と実践することです。
アーユルヴェーダでは、「決断力」は “ サーダカピッタ ” という火のエネルギーのひとつが司っていると考えます。サーダカピッタは “ フリダヤ (心臓)” にあると言われ、フリダヤは、「中心にあるもの」という意味もあります。
決断力は「心臓」だけでなく「脳」にもあるという捉え方もできます。
だけど、「頭」で考えていることと、「身体」で感じていることがバラバラになることってよくありませんか?
適切に決断をするには、頭と身体が調和することが大切です。
決断力や知性を司るサーダカピッタがうまく働くためには、その親分である消化力(主にパーチャカピッタ)を整えることが必要なんです。
ーー消化力(腸)を整えることで、決断力(心臓・頭)も高めていくということですね。
斎藤 はい。自分に気づきながら、消化力を整えること。日々の生活をマインドフルに送ることが、結局は近道なんです。
日本のアーユルヴェーダの第一人者である上馬場和夫先生は、「健康とはフラクタルである」とおっしゃっています。
私もこのことに深く共感します。
細部を拡大すれば、それはそのまま全体と一致する。
身体の中で起こっている不調は、実は、外側の世界で起こっていることを表していると。
ですから、何かが起こったと感じたときは、現実で起こっている出来事はもちろん、身体の変化に目を向けることですね。
最初は、何に関しても、ただ受け入れる練習をしていきます。
外側の出来事や人に対して「許せない」と思っていることは、たいてい「内側の自分」に対するジャッジだったりします。そういう風に物事を観察していくと、気づけることがたくさんあります。
ヨガだったら、まずは思い通りにポーズをとれない自分の肉体を受け入れる。
腕をもっと上げたいのに、肩が痛くて腕があまり上がらなかったとしても、あれこれ変えようとせず、「これが今の自分の現実なんだ」と受け入れ、その場所で呼吸をし、リラックスします。
感覚を追いやるのではなく、その感覚と共に居るのです。
そうして身体と関わっているうちに、八方塞がりでどうしようもないと思っていた状況が、なぜか一気に開けることがあります。
そうすると、「私はどうありたいのか」という選択肢が生まれます。
ーー受容し、そこに居ることが、選択肢を生むのですね。
斎藤 選択肢がある。選んでいるのは自分自身である。
それを、身体が教えてくれます。
「人生の問題はなくならないけど、私は私の人生を歩んでいる」という実感を得られることは、一番大事なところだと思います。
自分を知り、自分自身を生きられるようになっても、人生の困難はなくなるわけではありませんよね。
でも、「主体的に選択ができるようになること」は、とても深い自信になるし、自己信頼につながると感じます。
ーーほんとうにそうですね。
たとえば、私のように病気になったら、病院に行ってお薬に頼ることも必要だけれど、受け身になり、待っているだけではなくて、どこかで自分の人生にアクションを起こしていくことがとても大事だなと。
そのために「養生」があります。土台となる身体づくりが重要だとすごく感じますね。
誰もが「自分自身」を知りたいと願っている
ーー斎藤さんは今、人生のどんなプロセスに入っていますか。
斎藤 ここ数年は、嵐のような時間を過ごしていましたね。離婚して、ヨガクラスをゼロから立ち上げて、ずっと走り続けたままで。
痛みは減ったけれど、身体から完全になくなったことは、正直ありません。
ただ、「痛みは本質から離れたときのサインだ」と気づいてからは、痛みと対話し、関わるようにしています。その対話によって、少しずつ、自分が幸せであると感じることを許せるようになってきたと感じます。
ーーいま、すごく良いお顔をされていると思います。
斎藤 ありがとうございます。心と身体に不調が起こったときは、自分がどこかで目をそらしていたかもしれない「自分の本質」に気づくよい機会なんですよね。
「今までの自分はこうしてしまった」という過去のストーリーや、原因と結果の関係に気づきながら、本質的な自分の源に還っていく。
大切なことは自分の内側にいつも在るのだと確信し、もう一度、人生を歩んでいく。
自己変容と自己成長の道を歩んで行くのが、養生とヨガの道だと思います。
他のヨガやボディワークも「自分であること」を目指しているとは思うんですけど、他のメソッドでしっくり来なかった人には、養生からのアプローチは変化を感じやすいですし、安全に自己探求の道を歩めるので、ぜひ実践していただきたいです。
ーーたしかに。食事と運動と休息ほど、身体に対してわかりやすいものはないかも。
斎藤 はい。お金もかかりませんから。
運動でいえば、中田先生は山登りを勧められています。
私も高校に通えなかった頃、実は1日30kmくらい歩いていました(笑)。
頭でいろいろ考えていたら、歩きたくなったんです。やっぱり、いくら頭の中で解決しようとしてもダメなんですよね。
ーーそうですね。理屈じゃなくて実行。
斎藤 私の経験上、病や不調に陥った人は、「自分のことを知りたがっている」と痛感します。
自分に関心のない人はひとりも居ません。どんな人でも、自分を愛したいと願っています。
不調や病気は、自分を知るための入り口だと私は思っています。
ただ、心身の不調を抱えると、自己否定や過度な自己愛につながる場合も多いです。不調や病気が自分自身のアイデンティティの一つになってしまい、同一化してしまうから。
または「不調がなくなれば自分は幸せだ」と思い込んだり、他人と自分を比較してしまったり。
だから、汗をかいたり、ダイエットをするためのヨガも良いけれど、コロナ禍で社会が不安定だからこそ、「自己認識と自己発見のためのヨガ」が必要だと思っています。
「エクササイズとしてのヨガ」よりもわかりづらいものですが、ずっと頑張って社会に適応し続けていた人たちに、自分の身体とつながって、自分の足で立つ喜びを体験していただけたらとてもうれしいです。
頑張ることは、誰もがずーっとやってきていますから。
ーー今日は、とてもよいお話をありがとうございました。
斎藤 また、オンラインヨガにいつでもお越しください。
今日はお話を聞いていただいて、私自身もとても気づきがありました。ありがとうございました。
(終)
(インタビュアー/半澤絹子 2020年10月下旬 Zoomにて)