非日常が消えたアフターコロナの世界で〜「ソマティック」の再定義とオンライン教育のあり方〜(後編)
中田英之(なかた・ひでゆき)
練馬総合病院漢方医学センター長。日本産科婦人科学会専門医。日本東洋医学学会漢方専門医。防衛医科大学校卒業後、防衛庁医官として、防衛医大産婦人科、自衛隊中央病院、自衛隊仙台病院のほか、第六後方支援連隊にて部隊勤務を経験。現在は、漢方医であるほか、上智大では「からだ学」の教鞭をとる。健康はからだの体験を通じて学ぶ必要があるとの考えのもと、四季養生&アーユルヴェディックヨガワークショップを主催。10年来のうつ病を始めさまざまな苦痛を抱える患者を完治に導く。カトリック教徒であるとともに、奈良吉野の金峯山寺東南院にて山伏修行も行い、中先達となる。
これまでの記事はこちら (前編)体調を崩す大学生と自粛で元気になるヨガ生徒
本来の「平凡な日常」だけが残った現在(いま)
これまでお話ししてきたように、僕たちの生活は、新型コロナウイルスの登場で大きく変わりました。それによって変化したことは、人との距離だけではありません。
漢方医の視点でいえば、新型コロナによって、「非日常」が消滅しました。ほとんどの大規模イベントが中止され、旅行や飲みには出かけにくくなり、退屈で平凡な「日常」だけが残った。経済は落ち込み、さまざまな困難な状況が起こっていますが、これまでが「異常であった」というのも事実です。
例えば、病院にやって来るうつの人の多くは、「常に元気に働き続けていなければいけない」という強迫観念を持っていました。しかし、「陰」があってこそ「陽」があり、「晴の日」があってこそ「雨の日」があります。常に元気で働き続ける方が本当は異常です。
常にハレばかりを求める価値観は、資本主義と繋がっているので根深い問題ですが、これが続くと人間は壊れます。新型コロナ前まではそんな状態が続いていました。
本来は、生活のオン/オフを切り替えて養生していけば、ほとんどの体調不良は良くなります。
漢方診療では「養生のキホン」という黄色いチラシを使って説明しますが、簡単に言うとお酒の摂り過ぎを止めて、砂糖や乳製品を止めて、小麦をお米に変えて、22時までに就寝することを1ヶ月実行するだけで身体が変わります。キャバクラで働いていた女性患者さんは、新型コロナで仕事が無くなって、北海道の農場に行きました。つい先日、東京に戻ってきた彼女は、健康そのものに変わっていました。
新型コロナ以前は、多くの人が養生を無視し、自分の身体に無理をかけて薬を飲むという生活をしていたために、結果、病院に足繁く通って医療費が膨大になる、という悪循環が生まれていたわけです。
あなたは何をいちばん大事にしていますか?〜健康の基本に立ち戻ろう〜
さて、ここで、医療や福祉、教育などに携わる皆さんにお聞きしたいことがあります。
ソマティックにはさまざまなボディワークがありますね。皆さんは、自分の仕事に対して、何を重要視しているでしょうか?
クライアントの満足度? 筋膜? それとも、結果を出せること? 皆さん、いろいろとあるでしょう。
僕は漢方医という立場からソマティックの世界に入ったので、僕は、ソマティックは「からだの土台づくり」が最も重要だと思っています。
その基本は、「少なく食べて、よく動き、寝る」つまり、食事、運動、睡眠です。
身体感覚を養うことはもちろん大切ですが、身体の土台が崩れていたら、どんなボディワークをやってもムダです。しかし、あまりにも当たり前すぎるからなのか、これまでのソマティック大会ではそのような話はあまり出てこなくて、皆さんがどう考えていらっしゃるかをずっと聞いてみたいと思っていました。
僕は、食事、運動、睡眠の基本的なところをきちんと整えていたら、他には何も要らないと思っています。そうでなかったら、今、人類は生きていませんよね。
「何か特別なものが要る」というのは特殊なケースであって、基本的に何かを特別なもの必要とするならそれが無くなったときに人類は滅亡するわけで、特別なものは日常にあってはいけないことですよね。
今の世の中は、「非日常」を「日常」にしてしまったからこんなにおかしくなったのです。
そういう意味において、うつになって病院に来るような人はある意味まともだと思います。真っ当だから、おかしくなってしまった非日常的な今の世の中に合わなくなっているわけで。
先ほど申し上げたように、人が健康になる養生の基本はとてもシンプルです。
「この薬が、このサプリがあれば大丈夫」といった話は悪魔のささやきなのです。本当は皆、知っているはずなのですが、健康の基本を敢えて忘れたふりをして、サプリだとか特別な治療法で何とかしようと邪な考えを起こすから、社会や人の健康がおかしな方向に行ってしまったのです。
新型コロナウイルスのワクチンも同様です。1年でワクチンや薬ができるわけがない。それに、新型コロナウイルスはそもそも風邪のウイルスで、「風邪に薬はない」、風邪をひいたら仕事を休んで身体を休めて寝る。というのは世界の常識ですから。
ソマティックは「日常の自分」に還るためにある
非日常がなくなった今こそ、僕たちが目覚めるチャンスです。映画の『マトリックス』で、主人公のキアヌ・リーブスが仮想現実の世界から目覚めたシーンのように。根本から身体を整える時です。
五感は身体を通して入ってくるものなので、もし身体に不具合があれば、不具合を持った身体を通して得られた不確かな情報しか私たちは得ることができません。
つまり、糖尿病の人が見る世界と、糖尿病ではない人の見る世界は、色も匂いも全て違うとも言えるのですね。身体の具合が悪い人の世界は暗くて当たり前なのです。
身体が良い状態になったら、五感センサーが復活して、正しい色が見えてきます。逆に、身体のメンテナンスが悪いと、異次元の世界に行ってしまいます。だからちゃんと、養生しましょう。食事と、運動と、睡眠を整えましょう。僕が皆さんにお伝えしたいのはそれだけです。
実は、僕は5年前くらいから修験の道に入りました。
修行を通して、「自分が元に戻った」という感覚があります。修験では、尾根を歩くので、一歩一歩注意して歩き、常に自分の立ち位置を理解する必要があるのですが、意識的に歩くという積み重ねは、自分自身の内側に繋がっていきます。
周りの人からは「霊力が身につきましたか?」と聞かれたりするのですが、そんなことはありません。実際、あるべき姿で身体を動かすと通常起こらないことが起きたように見える時もありますが、それは特別なものではなく、「当たり前の日常」に戻ったからこそ起こることです。
「非日常の(不養生で身体に無理をかけている)世界」での当たり前と、「(養生して身体が喜んでいる)日常世界での当たり前」には違いがあるということです。
修験道は、自らに戻る、自然に戻る修業なのだなと、最近になってやっと理解しました。自分の足の下の地面は、足を動かさないと見えない。つまり、真理を求めて彷徨うからこそ、持って生まれていたこの身体にその答えがある、それに気が付くのです。
もともと身体というのは、日常に適応するためにつくられています。
ですから、原点は「日常」にあることを理解しないと、ボディワークやソマティックの「使い方」を間違えてしまいます。自分の身体の感覚を思い出して、自分に還ることに持っていく。そのために、昔から人々はヨガをしたり、武術をしてきたのではないでしょうか。
お互いにゆるしあう「恕」の心持ちで
最後に。
修験道をやっている僕は、養生の他に、「恕(じょ)」という言葉も、キーワードにしています。
「恕」をパッと見ると「怒」と思ったりしますが、「怒る」ではなく、“お互いを認めて、ゆるし合う”という意味です。また、人を受け入れるだけではなくて、自分自身をゆるすことも重要です。僕はカトリック教徒でもあるのですが、聖書にも同じことが書かれています。
現在の新型コロナの問題は、「人を批判して、排除して、自分を守ろうとする」みたいなところがありますよね。しかし、そうすると、お互いが傷つけ合うことになって、最後、相討ちになって悲惨な結末を迎えます。それはとても愚かなこと。どこかでお互いを受け入れ合う必要があります。
ですから、僕は常に「恕」の心持ちでいられるようにしたいと思っています。。交感神経が昂っている状態ではなくて、心がゆるんで、気が降りている状態。この心持ちは全てに通じると思っています。
今回のソマティックウィークでは、「ソマティックとは何か?」「ソマティックのオンライン教育」について、関係者の方々と共有したいと思っています。
10月7日(水)のZOOMイベントをキックオフにして、これからのソマティックについて一緒に考えていきませんか?
身体を持った僕たち人間にとっての「日常」とは何か。ソマティックに関わる人たちはそれをよく知り、メッセージを発していくことが大事だと思っています。
(終)