2020年4月現在、世界という「場」が大きな変化を迎えています。
ウイルスの脅威による外出自粛要請が発令され、人と人が直接触れ合う機会が減ってきています。
ボディワークやセラピーを行うことが難しいだけでなく、
それが人間という「生き物」にとっていかに危機的な状況であるか。
からだの叡智を知るソマティック関係者の皆さんは、肌で感じているのではないでしょうか。(自粛はとても大事なことですが)
ただ、そのような状況の中でも、私たちにできることはたくさんあります。
その証として、オンラインでの運動指導やボディワーク、セラピーが続々と始まっています。
当初、この連載は、「『人と人がフィジカルに触れ合う場』のつくり方」を予定していました。
なので、多くの話が「オフライン」での場のつくり方となっているかもしれません。
しかしそこに「からだ」がある限り、つまり私たちが生きている限り、「場」をつくることはできるはずです。
オンライン/オフラインを問わず、きっと、大事なものが通いあう場は発生していると思うのです。
この連載の第1回目は、「野口体操」と「竹内レッスン」をベースにからだを育む講座を行う「人間と演劇研究所」の瀬戸嶋充・ばんさんに、前・中・後編の3回にわたり、お話を伺っています。
皆さまの善き「場」がつくられるように、なにかの参考にしていただければ幸いです。
第1回 からだとことばを通して、いのちの本質とつながる(前編)
瀬戸嶋充・ばん(せとじまみつる・ばん)
東京都出身。人間と演劇研究所主宰。演出家。大学を卒業する頃に演出家・竹内敏晴と出会ったことから演劇の世界に進み、演出家として活躍。以後、竹内氏が創始した「竹内レッスン」、野口三千三氏が創始した「野口体操」、宮沢賢治の物語の朗読を組み合わせた独自の演劇的アプローチにより、からだの可能性を高める指導を行う。東京・大阪の定期講座のほか、滋賀県の琵琶湖近辺での合宿も行う。オンラインでの講座も開催中。
意識がなくても、人は人と交流している
――今日はよろしくお願いします。ボディワークやセラピーの「場」によって、安心感や一体感、起こる変化はずいぶん違うと感じているのですが、講座(写真右)を主催される立場としてそれを感じることはありますか?
ばん ありますね。僕は、演出家の竹内敏晴(※)にずっと師事してきたのですが、演劇のワークショップで彼が室内に入ってくると、場のテンションがバーンと上がる。
彼がいるだけで場の緊張感や活気が変わってくるんです。
そのような「人」がいることの力は、場づくりでは、ずいぶん関係してくると思っています。
(※)1925-2009。演出家。発声や動きなどの演劇レッスンにより、人と人との本質的なふれあいや人間の可能性を開くことを目指す「竹内レッスン」を主宰。『ことばが劈(ひら)かれるとき』(ちくま文庫)など著書多数。
――それはワークショップに限らず、舞台鑑賞などでもありますよね。私は美輪明宏さんの舞台を観たときに、その世界にとてもひきこまれました。装飾も何もないシンプルな舞台だけど、すごくきれいなんです。
ばん うん。引き込まれるとしか言えないよね。
演劇のトレーニングには「空間にからだを広げていく」というものがあるんですよ。
僕らは「自分の肉体は皮膚までである」と思っているけれど、実は「肉体の外にもひろがっていくからだ」がある。
講師は、自分の胸を開いて、そのからだの広がりの中に相手を受け入れることがないと、レッスンが成り立ちません。
場づくりにおいて、「大きなものに包まれる」という安心感をつくることは必要ですね。
――集団のワークショップでは、「安心感」は特に大事ですよね。見知らぬ人たちをまとめることに不安はありませんか。
ばん そういうことはあまり考えない。初対面同士でも、人と人はつながっているという前提で僕はレッスンをやっているので。
「人は1人の存在である。何人いようとバラバラの存在だ」と思うかもしれない。けれど、僕は竹内敏晴の研究所でそうではないことを体験しているから。人と人がつながりあっているという前提を、バカみたいに認められるかどうかが大事ですよ。
――人とのつながりを信頼するっていうことが大事なんですね。
ばん うん。以前、女性の生徒さんで「脊髄小脳変性症」という病気にかかった人がいました。からだの自由がきかなくなって、寝たきりになってしまってね。ご主人や介護士さんが一生懸命ケアをしているのだけど、どんどんからだが硬直してくるようになってきた。
そこで「ばんさんが何か違うことをやったら変化があるんじゃないか」と、病院に呼ばれたのです。
病室に行くと、彼女はベッドの上に横たわっていました。目をカッと見開いていて、瞳孔はほとんど動かない。自力では呼吸もできない状態でした。
――その様子をご覧になっていかがでしたか。
ばん ベッドに横たわっている彼女を見たときに、とくに顔や胸のあたりに緊張が集まっている印象を抱きました。逆に下半身や足は棒のようで、まるで放っておかれている感じがした。
足が棒切れのようになっている様子がどうにも気になったので、通常のレッスンのときのように、ご本人に声をかけました。
「すみません、あなたの足が気になるので、ちょっと足先を触らせてください」、そして「ちょっとここ(足)に注意を持ってきてもらえます?」と頼んでみたのです。
すると、顔や胸だけに集中していた「意識」が、足先に降りてくるのが感じられたのです。彼女は全身が硬直して、ジェスチャーも会話もできない状態です。
でもちゃんと「注意」が足にきた。周りからは一切コミュニケーションができないと思われているけれど、そうではなかった。
――すごいですね。
ばん このことを彼女のお父さんに伝えたら、お父さんが彼女に声をかけ始めました。そうしたらご家族の関係性も良い方へと変わっていきました。
――先ほども「人と人はつながっている」と教えていただきましたが、まさにそれを認識するかしないかで、「場」が変わるのですね。
ばん だから大事なのは、やっぱり「人を人として扱う」ということですよね。
それから次に、「地に足を着ける」。実は、地に足が着いていないと、人との関係はちゃんと結べんのですよ。からだが宙ぶらりんだと、関係を結ぶことが怖くなります。
地に足がついていれば、いざというときに逃げることもできるけれど、地に足がついていないとからだは不安定なわけだから、目の前の相手を怖く感じるのは当たり前だよね。
――場がどんなところであっても、そこにいる人たちが地に足がついていることが大事だと。
ばん 僕はここ何年か、表現をすることよりも、「自分の意識と全身が1つになって落ち着いていることのほうが大事」だと思うようになってきました。時代の中で、人が頭ばかりをますます使うようになって、下半身が死んでいっていると感じるからです。
――そうかもしれませんね。
ばん からだって水袋のようなもので、「からだが固い人」は1人もいません。ワークショップで全身を揺らして、からだの中に波を伝える動きをみんなで行っていくと、その瞬間に、全員の間に親しさのようなものが広がっていきます。
――ちなみに、講師が「支配」したら場は出て来ないですよね?
ばん 出てこないです。人間は敏感ですから。でも多くの人は親切だから、相手の支配に付き合ってあげちゃうんですけどね。怖いことです。
竹内敏晴の研究所でスタッフをしていたときに、お母さんに連れられて登校拒否の女の子が来たことがあります。それでその子に野口体操を教えてあげたのですが、娘さんが楽しそうにしている姿を見て、お母さんが驚いていました。「いつもと全然違う」って。子どもは鋭いから、安心できる人をよく分かっています。
あと、僕のレッスンだとみんなよく寝るでしょう。ある意味、安心するんだろうね(笑)。
――私もこないだの講座で、リラックスして途中、寝てました。でもばんさん、何も言わないだろうなと思って(笑)。
ばん それぞれの参加の形があっていいと思うんです。からだは、必要なプロセスをちゃんと進んでいくからね。1つの成果を押しつけようとするとからだは固まります。(中編ー宮澤賢治の物語の力ーに続く)
インタビュアー/半澤絹子、吉田裕子 2020年2月 東京・小金井にて(後日インタビューあり)